人生の正解が分からない。そんなこと考えても辛くなるだけ

いまの世の中には、「人生に正解」をもとめてしまう人があまりにも多すぎる。
これはおそらく、義務教育の中で培われた価値観なんだろうと思う。なんにでも正解があるという。

しかし、人生に正解など求めて何になるのだろう。仮にあったとしても、わたしはそれを考えるだけで胸を圧迫されるような感覚に陥り、息苦しくなってしまう。
余計に考えてしまって、逆にモヤモヤする。そんな人も多いのではないだろうか。

人生の正解が分からない、そんな人への処方箋

「充実感」をつくろう


__人生、充実していますか?
この問にYESと答えられないのだったら、人生にさまようのも当たりまえのように感じる。

なぜなら充実感というのは与えられるものではなく、じぶんで生み出すものだからだ。いますぐ、この瞬間から充実感は生み出せる。

たとえば恋人と別れたとしよう。ほとんどの人はきっと、株式が大暴落したときのような喪失感を覚えるのだろうが、一部には「この恋愛の反省を活かせば、つぎの恋人はもっと幸せにできるはずだ!」と捉え、充実感をおぼえる変態がいる。つまるところ、考え方次第で物事は幸にも不幸にも転じてしまうということだ。

人生の正解を求めて生きているひとは、こういうポジティブ馬鹿になってみたらいいと思う。この世のなかの出来事には陰も陽もないのだから、ただあなたが物事に「これはいいことだ!」と意味づけをしてやればいい。

正解やら意味やらを考えるのではなく、まずはこの一瞬をいかに楽しむか、を考えてみればいいのではないか。これが第1の処方箋だ。

考えるまえに納得できるくらい行動しよう

よく考えてみてほしい。
人生の正解、または意味について深くかんがえたところで、答えがでてくると思うだろうか?
わたしは数百時間、いや数千時間考えても、人生の正解なんてわからないだろう。

それに、仮に「人生の正解」とやらを見つけるんだったら、考えるのではなく、とにかく行動することのほうが最善だろう。

これは、たいして勉強をしたことがない子供が「わたしは勉強が向いていないんだ!」「わたしには能力がないんだ!」と思いこむのとよく似ている。勉強時間が足りていない、もしくは数科目しか手を出したことがないのが1番の原因であるのに、ただただ自分を罵倒しつづける。
1番大切な行動が足りていないのに、悩むつづけるのだ。

まず悩む前に納得できるまで行動してみたらいいのではないか。これが第2の処方箋だだ。

「他人の正解」をもとめて生きていませんか?

もしかしたら「他人の人生を生きてしまっている」のではないだろうか。じぶんの気持ちに正直になれず、みなが進める安定した道を選んでしまう。そんな人もきっと多いと思う。

しかしそんな道にすすんでも、結局行き着くところは”後悔”だ。
好みの異性に告白ができなかった虚しさのように、亡くなってしまった両親に感謝のきもちを伝えれなかった切なさのように、後々ずっと負の念にさいなまれる。
「わたしは何をしているのだろう?」「ここにいていいのだろうか?」「もっと早くやっておけば、まだチャンスはあったかもしれない。」と。

自分の人生を生きることができれば、少なかれず後悔というモヤモヤは少なくなってくる。ちゃんと自分の脳で、足で前にすすんでいるという自覚があるから、充実感が感じやすくなりストレスも減るだろう。

勇気も持ち、やりたいことをやろう。
これが第3の処方箋だ。

まとめ:どうしても苦しいならお酒飲んですぐ寝よう

酔ってすぐ寝る。
これで大抵の嫌なことは消え去る。

消え去ったあと、ゆっくりあなたのペースで、これからをどう生きるか考えてみてほしい。
それでは。

コメントを残す